YASHICA ELECTRO 35 GSN
1966年に発売されたYASHICA ELECTRO 35 シリーズには、このカメラが現役時代は縁がなかった。購入したのは21世紀になってからである。使ってみて、すごく気に入った。大変よく写り、モノとして魅力があった。でも、フィルムの時代は間もなく終わりそうなころで、本棚の装飾品になるのに、それほど時間はかからなかった。
なぜ、現役時代に買わなかったのだろうか。まずNIKONやCANONの一眼レフにあこがれていた。ブランドに魅力がなかった。電子技術を使って「誰がどこで使ってもきれいに写せる」という商品コンセプトに興味がなかった。以上は消極的な理由。積極的な理由があって、それは、豪華風に見せようという過剰なデザインだった。
少しでも大きく豪華に見せようとする魂胆が見え見えのデザイン、ギラギラした銀色メッキ、電子が飛び回っている模様のマーク。これらはキャデラックとかシボレーとか1950年代の米国車のテールフィンを連想させる。今風に言えば、クールでもスマートでもない。かっこいい自分としては、ああいう大衆迎合的というか大衆の欲望を形にしたようなものは、身近に置きたくなかった。
中古を買ってみようと思いついたのは、レンズの設計製造が富岡光学だったからだ。そして写してみて驚いた。絵に立体感があった。空間的な立体感だけでなく、時間的な立体感も表現した。COLOR-YASHINON DX 45mmF1.7、さすが富岡である。その後、YASHICA ELECTRO 35 シリーズのカメラを何台か使ってみたが、レンズの性能ではGXの40mmF1.7が最も優れていると思った。
デザインもいいじゃん
使い勝手もすごくよかった。手が大きい私には、大き目のボディーが使いやすい。各パーツは間隔を持って配置され、一つひとつきちんと作られている。ボディーの剛性感もすごい。YASHICA ELECTRO 35 シリーズのコレクターがいて、その人のサイトには、ものすごく丈夫で、ボディーがへっこむほど傷ついても壊れない、と書いてある。電子カメラは壊れやすく、壊れたらおしまい、と思っていたが、どうも違うようだ。銀色のメッキは、今もギラギラ光っており、錆もよごれもない。そういう目で見ると、デザインも悪くないと思うようになった。上品ではないかもしれないが、日本が元気だったころの、前を向いて胸を張って歩いている感じがいい。水前寺清子か三波春夫。
熊野に持っていった
長女の結納のときの記念写真を、このYASHICA ELECTRO 35 GSNとCONTAX T2 とROLLEIFLEX 2.8F Planarで撮った。このカメラが一番シットリと写った。銚子の近くの外川という漁港の町で使ってみたら、白い波頭が英国の風景画のように写っていた。勝浦の古い旅館が積み重ねてきた歳月も写っていた。
熊野に行ったときは、YASHICA ELECTRO 35 GSNを、ケースに入れないで、首からぶら下げて歩いた。南紀の強い太陽の下で、銀色のボディーがいつにも増してギラギラ光った。「LEICAの M3か M4でも持っている人に会わないかな」と期待して古道を歩いた。お互いにカメラをちらりと見て、「オレのほうがいいのを持っている。腕も上だ」というシーンを期待したが、そういう人には会わなかった。夜、脚だけでなく首が痛かった。