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続・銀河鉄道に乗って、富岡に行ってきた(追憶編)

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 富岡製糸場の正門。世界遺産の正式決定までもう少し。わが故郷の誇りである。日本政府が推薦を正式決定したため、また観光客が増えていた。
 この赤レンガ造りの大きな工場が完成したのは、明治5年、西暦1872年である。同じ年に、新橋・横浜間に鉄道が走り始め、横浜の馬車道にガス灯が灯った。
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 父母が眠る墓地があるお寺。サルスベリが咲いていた。富岡製糸場の正門にもサルスベリが咲いていた。
 我々は5人兄弟。上から、女男男男男。私は3男坊である。1945年8月15日をはさんで、3人はその前に、2人はその後に生まれた。つまり、この時代を生きたすべての女性と同じように、母は大変苦労した。私が生まれたときは、山合いの村に住んでいたが、私が小学3年になるとき、町場に転居した。母は40代半ばにして農家の主婦から、専業主婦に替わった。明治の末年に生まれ、大正、昭和、そして平成まで生き、数え90歳で亡くなって、今年が13回忌である。

(以下の3枚は、数年前に撮影した、生家とその近所の写真である。我々が転居した後、別の家族がもう50年以上住んでいる。母屋の外装は変わったが、納屋や作業場や庭の雰囲気は昔とほとんど変わっていなかった)
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 食事をしながら、母を偲んだ。
 次男「兄弟はみな、絹の下着を着ていた。小学校に持っていく雑巾も絹だった。先生が、〝上等な雑巾だが、水を吸わないので使いにくそうだねえ〟と言った。母は、蚕を飼い、繭を取り、糸をつむぎ、布を織り、裁縫をした。みんな自分でやった」
 長女「ヤギ、ウサギ、ニワトリはもちろん、ヒツジも飼った。年に1回毛を刈り、毛糸を作って、子供たちのセーターを編んだ。養蚕や羊毛で稼いだ金を貯金していた」
 長男「父親がその金を持っていって、村の人たちに飲ませた(父はその甲斐あって、晩年、公職のトップになった)。母は文句を言っていた。父はたまに農業をしたが、例えば畑だと、外周に麦を植え、真ん中では自分の好きな花を栽培していた(生活の中で〝趣味・思潮〟を重視した、あるいは「労働」と等価値に置いた)
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 3男「小6の10月、東京に修学旅行に行く日の朝、母と暗い道を歩いていたら、地上3mくらいの高さのところを、直径30cmくらいのクリーム色の光の球が尾を引いて動いていった。私が〝母ちゃん、ヒトダマかい〟と聞くと、〝うん、そうだよ〟と言った。母が動じる気配がないので、少しも怖くなかった」
 4男「外食すると、料理がいいときは〝うんまい〟と大声で言い、気に入らないと、〝まっじいなあ~〟と、もっと大きな声で言った」
 長男「今で言うKY的なところがあったが、そんな中途半端な料理を出して金をとるな、と義憤を感じていたのではないか」
 全員「そうだ」

 父は新し物好きで、社交的で、行動的だった。母は保守的で、外に出たり、知らない人と話すのが負担だった。いつも家にいて、子供のことだけを気にかけていた。
 兄弟5人の話を聞いていると、全員が、親は自分のことをいちばん可愛がってくれたと、思っているらしい。それは真実だったのだと思う。
 兄弟の間で、揉め事はゼロだった。遺産をめぐって…という話がよくあるが、なにしろ、父はみんなひとに飲ませてしまう〝井戸塀○○○〟だったし、母にいたっては、私有財産ゼロであった。晩年は、編み物を趣味とし、子供はもちろん孫のものまで、ずいぶんたくさんのセーターを編んだ。90歳近くなると、複雑なセーターを編めなくなった。長男の進言を容れて、マフラーを編んだ。亡くなったあとには、いくつかの出来上がったマフラーと編みかけのマフラー、若干の毛糸が残った。それが遺品でありかつ彼女の遺産のほとんどであった。
 母の戒名は「天縫院」である。富岡は絹紡績の町である。母は製糸工場に勤めるようなことはなかったが、自分で桑の葉を摘み、蚕を飼い、糸を紡ぎ、布を織り、子供たちのために、絹の下着や絹の雑巾を縫った。やはり、上州の女、富岡の女であった。自分の着物を作ったことはあるのだろうか。
 ついでに言うと、父の戒名は「天声院」である。座談が好きで、演説を仕事にしていたからである。私は、新し物好きの性格が父に似ている。容貌は、母の男兄弟に似ているので、母似だと思っている。
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 生家の前を流れる川に、小さな砂防ダムがあった。すぐに台風が来て埋まってしまい、滝のような形になった。家族の間で「川に行く」と言うのは、この滝つぼのある場所に行くことを意味した。ここで洗濯をし、水遊びをし、魚を獲った。
 後年、親戚付き合いをしているこの近くに住む主婦に聞いたら、「むしゃくしゃするとき、つらいとき、また、暑くてたまらないときは、ここに来るんだい。水しぶきが涼しくてねえ、水音以外何も聞こえないんだい。しばらくすると、心が洗われるんだろうかねえ、気分がすっきりするんだよ」と言っていた。
 母もそういうことが、いっぱいあったのだろうと、思った。

(前半の2枚はSIGMA19mmF2.8 EX DNで撮影。後半の3枚はOLYMPUS CAMEDIA C-8080 WIDE ZOOMで撮影)
by withbillevans | 2012-09-02 00:06
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