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新潟県村上市 町屋の屏風まつり(5) 「村上城址に登る」 SIGMA19mmF2.8 EX DN

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 街の中を一回りして、「やはりここは城下町だから、お城を見ないと…」と、思い出した。そこで初めて、お城の場所を確かめてないことに気付いた。
 駅前の観光案内所でもらった地図にも、だいたいの位置が書いてあるだけ。遠くの空を見ても、それらしきものはない。城下町なのに、お城がどこにあるか分からない。不思議な気持ちになった。
 おおよその見当をつけて、歩き始めた。私は、初めての街でも、ほとんど迷うことはないのだが、ここでは、分からなくなった。道がカーブしていくと分からなくなる。
 道路工事の人に聞いてみると、「あの山の方です」と教えてくれた。山を目指して歩いていくと、大きな木が何本か茂っている一角に出た。公園でもないし、普通のお宅にしては広すぎる。あ、これは、藩政時代の偉い人の屋敷跡ではないかと、思った。
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 さらに山に近づいていくと、きれいに区画された住宅街に出た。そこの雰囲気は、町場とは異なる。これは、武家屋敷の跡ではないかと感じた。千葉県佐倉市や、鹿児島県の知覧などで見た、武家屋敷の雰囲気がここにもあった。
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 山に突き当たると、村上城址と大きな文字が彫られた、高さ2mあまりの白御影の石碑が建っていた。脇に、山に上る道があった。自動販売機があった。飲み物を買うべきか、考慮した。山頂まで20~25分という看板に従えば、往復40分の山道。飲み物なしで行こうと決断した。
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 この日は、本当に蒸し暑かった。九十九折りの坂道を、曲がるたびに休んだ。クマザサの葉が大きくて暑苦しそうで気持ちが悪くなった。すぐに、飲み物を買わなかったことを後悔した。冷えた〝微糖〟のアイスコーヒー缶の、色々なデザインが頭に浮かんできた。
 ようやく、平坦な場所まで来た。城跡の石垣もあったが、そこは「なんとか門」の跡であり、本丸はもっと上のようだ。2歳くらいだろう、ようやく歩けるようになった感じの幼児の手を引いた2人の若い母親が、おしゃべりをしながら、私の脇を抜けていった。

 ついに、本丸の下まで来た。大きな石垣もある。ところが、石垣が一部崩れており、その修復工事のため、大きく迂回するようにとの看板。この時点で半分あきらめかけた。その時「9合目で登頂断念!」という新聞の見出しが頭に浮かんだ。それだけは避けたいと思って、頑張った。
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 天守閣のあった場所まで来た。小さな神社や、天守の遺構と思われる石などもあった。白い小さな花がいっぱい咲いていて、お花畑のようだった。標高135mを示す標識、百葉箱もあった。
 天守跡から、中心街がよく見えた。海岸も日本海の水平線も見えた。山裾を、三面川(みおもてがわ)が流れている。
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 視線を右に転じると、三面川の上流の方角も望めた。結構、広い平野になっているようだった。こういう大きな風景を眺めていると、村上という街、あるいはお城が、どのような経緯で築かれ、発展してきたか、分かったような気がした。
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 山道を下りながら考えた。侍は、毎日、この道を登ったり下ったりしていたのだろうか。そんな面倒なことをするはずがない。戦時はともかく、平時は、下の平らな場所に住み、仕事もそこの事務所でしていたはずだ。
 山の下の政治をする場所は、お城の一部だとされていたのだろう。現在、役所や学校が立っている、広々とした地区は、昔は、そういう場所だったのだろうと思った。
 道路工事の人が、お城の場所を聞いた私に、山の方、と漠然とした答え方をしたのも、地図にあいまいな表示がしてあるのも、そういう事情があるからだろう。
 もっと分かりやすく言うと、昔は、村上は城郭都市であり、全体が城郭だったような時代があったのではないか。町場はそこに付随して発展したのではないか。明治維新後の一時期、村上県というのがあり、その県庁所在地であった。後に一緒になる新潟県の新潟より、ずっと人口が多かったと聞いたことがある。
 おっといけない、個人的には、お城の歴史には興味はない。私は、歴史を妄想する場合も、旅人としてさすらう現在でも、町場の雑踏のほうがずっと好きなのである。

 帰路、クリが落ちていた。実が裸で落ちていたので、イガに入れてあげてから、撮影した。したがって、これはヤラセ写真である。
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 武家屋敷跡と思しき地区に戻った。どの家の庭も、よく手入れされており、秋の花がきれいに咲いていた。濃さを増したザクロの実の色が、本格的な秋の到来が近いことを教えてくれた。
(続く)
by withbillevans | 2012-10-03 23:00 |
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