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遠野から釜石へ      釜石(その1)        

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 2日間の日程で、岩手県釜石市に行ってきた。釜石に一泊する予定だったが、市内のホテルは、すべて満室。復興支援の関係者でいっぱいだった。そこで鉄道で1時間ほどの距離である遠野市のホテルに泊まった。ということで、遠野と釜石をJR釜石線で2往復することになった。
 初日は、釜石で一杯やってから最終列車に乗り、遠野駅に着いたら夜9時半になっていた。フロントで、夕飯を食べられる店を教えてもらった。駅前に数軒あるという。「食事のみOK。ラーメン500円」という貼り紙のあるスナックに入って、そのラーメンを食べた。ほかに客はいなかった。
 遠野には以前、車で来たことがあるが、遠野駅は今回初めて利用した。石造りの立派な建物で、駅舎がホテルになっていた。私はここではなく、駅前のビジネスホテルに。客はそれほど多くなく、大浴場もあって、快適だった。
 翌朝、駅まで歩いて行くと、彫刻の河童が池の周りで井戸端会議をしているような小庭園があった。河童の写真を撮ってから切符を買って、跨線橋を渡って下りホームに。花巻方面からの3両編成のディーゼルカーが入ってきた。高校生が何人か降り、乗る人は少なかった。
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 一番前に乗った。運転室が小さいので、乗客はぎりぎりまで前に行ける。私はフロントガラスに額をくっつけて、進行方向の景色を眺めることができた。
 バチバチ写真を撮った。すると、E-PL3のボディーが熱くなった。デジカメは、撮影時に、撮像素子が熱を持つと聞いていたが、こんなに熱くなったのは初めての体験だった。それはともかく、緑の中を突き進む感じに興奮してしまった。
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 私の近くには、推定79歳の婦人が1人だけ乗っていた。彼女が話しかけてきた。「次の駅には大きな洞穴があり、流しそうめんが食べられる店がある」「線路の両脇は落葉樹が多いので、もみじがきれいだから、秋にまた来なさい」などと観光案内をしてもらった。途中の陸中大橋駅で降り、自宅に戻るのだそうだ。
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 前日は、昼過ぎに新花巻から快速列車に乗って、釜石に向かったのだが、同じ車両に、高齢のご婦人3人組がいて、女子高校生みたいに大騒ぎしていた。右に左に席を替え、私の耳元でギャーギャー言うので、それとなく注意したら、静かになった。ああ、言わなければよかった、と後悔していた。翌日の推定79歳の婦人は、穏やかで優しそうな人だった。私がイメージしていた岩手県の人だった。
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 花巻から遠野に入る途中でも大きな山を越えた。遠野から釜石に行くにはもっと大きな山がある。いくつかトンネルを抜け、ひときわ長いトンネルがあった。その先に、推定79歳の老婦人が降りる予定の陸中大橋駅があった。ここから釜石である。そこはまた、釜石鉱山の入り口でもあった。すでに鉱山は操業していないが、往時をしのばせる鉄道遺構がたくさんあった。
 穏やかな老婦人が降りようとすると、運転士が出てきて、手をとってあげた。運転士が長靴をはいていたのが印象的だった。東北地方はまだ梅雨が明けず、雨が続いていたのである。
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 列車は下り坂を走る。空に虹が出た、と思ったら、コンクリートの橋だった。それにしても高いところを走っている。
 「震災で、鉄道も通信も港も道路も使えなくなった。釜石は陸の孤島になったが、かろうじて、その少し前に完成した高速道路の一部で物資を運べた」という話を聞いたが、このコンクリートの橋がそれなのだろうか。 
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 ようやく、人家が増えてきた。遠野方面からの鉄道と道路が交差しながら、釜石湾に向かって延びていく。この谷筋を通る街道が釜石の背骨のようになっている。コンクリート造りのアパートが何棟か見えた。鉱山あるいは新日鉄釜石の製鉄所の労働者の住宅だったという。住む人がいなくなったので、取り壊す予定だったが、その前に大震災が起き、津波で家を流された人たちの臨時の住宅になっているそうだ。
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 列車がスピードを緩めた。終着駅の釜石駅のホームが見えてきた。
 森山大道の『遠野物語』は、遠野までの旅、私はその先の釜石まで来た。
by withbillevans | 2013-07-26 22:50 |
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