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高崎の「あすなろ」に行ってきた

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 喫茶店あすなろが、今年6月に、31年ぶりに再開したと、偶然ラジオのニュースで聞いた。先日、再開されたあすなろに行ってきた。 高校時代のあこがれの喫茶店であった。高校時代は1回か2回入っただけ。でも、あすなろはずっと、私の心の故郷的な喫茶店であった。 「できるだけ当時と似せたものにしました」と店員さんが説明してくれたカップで、コーヒーを飲んだ。
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 打ちっぱなしコンクリート造り。石の彫刻。音楽はクラシックのみ。客は少なかった。17歳の私の胸はビリビリ震えた。それらは私の好みに合った。いや、個人の趣味を徹底させて作り上げたそのような空間に生まれて初めて入ったのであった。大人になったら、こういうことをしてもいいんだと、思ったのであった。 群馬を離れ、社会人になってから、帰省するたびに寄った。いつもひっそりとした感じだった。そして、あすなろは1982年に閉店した。  再開したあすなろが、当時とどこが同じでどこが違うのか、私は思い出せない。現在は、地元の高崎経済大学の学生たちが中心になって運営しているという。店内は、若い人の熱気があふれていた。
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 フロアはかなり広い。2階は貸し切りでパーティーをしていた。にぎやかな声が下まで聞こえてきた。やがて、パーティーは終わり、若者たちが、階段を降りてきて、コーヒーを飲んでいる私の脇で、大声で話し始めた。私は、物分りのいいおじさんになって、ニコニコしていた。 私は、みんなが引き上げた2階に上がってみた。高校時代は、2階でコーヒーを飲んだ記憶があったからである。やはりフロアは広く、ちょっとしたイベントもできそうなくらいあった。
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 階段の壁などに、再開のいきさつを紹介する展示があった。地元新聞の切り抜きがあり、記事の署名を見たら知り合いだった。 彼は高校の同窓生だ。40年間、東京の広告会社で働いたが、その間、ずっと高崎に住み続け、遠距離通勤を全うし、地元の活性化に協力し続けたナイスガイである。
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 あすなろの外観。これも、私が初めて入ったころと、どの程度同じなのか、思い出せない。 なぜ、あすなろは、私の心の故郷なのか。私が大切に思っていることと、あすなろのアイデンティティーが同じだから。というよりも、あすなろ的な存在をいつも気にかけながら生きてきて、自分にとって大切なことが、少しずつ明確になってきたのである。
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 あすなろの創業者は、栃木県に住んでいた在日韓国人、崔華國という人である。敗戦の年1945年に発足した高崎市民オーケストラから生まれた群馬交響楽団を取り上げた映画(「ここに泉あり」55年)を見て感動し、高崎にやってきた。実業家の弟に資金を出してもらい、1957年に、200席もある大きな名曲喫茶店「あすなろ」を作った。これが地元の文化運動の拠点の1つになった。 貧しかった時代であったが、高崎には熱気があった。当時の高崎市民は「高崎を日本のウィーンにしよう」と本気で考えて活動していた。市民が、それこそ100円、200円の寄付をして、群馬音楽センターという音楽専用ホールを建ててしまったのである。 あすなろは道路拡幅計画で移転を余儀なくされ、1964年に現在地に、2代目の店として開店した。私が高崎の高校に通うようになったのは63年だから、高校に通っていた3年間に引越しがあったことになる。私は、同じ群馬でも、もっと田舎の生まれなので、そんな事情は知らなかった。2代目あすなろは、その地で、1982年までの18年間営業した。後半は、かなり厳しい経営だったようだ。  崔氏は、若いとき詩人を志していた。あすなろの経営が難しくなると、詩作に熱を入れるようになった。閉店から2年後の1984年に、詩集『猫談義』を出版し、翌年この作品でH氏賞を受賞した。70歳だったという。崔氏はその後米国に移住し、97年に亡くなった。
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 崔華國とは、韓国の慶州で生まれ、壮年期を日本で過ごし、そこで、あすなろと詩を作り、老年になって米国に行った男である。 その詩集『猫談義』を開いて見た。〝故郷に定めありや情通えばそこが故郷〟という一節で終わる詩があった。
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 あすなろの歴史などについては、地元の上毛新聞社が出していた季刊誌『上州風』の2号(2000年3月発行)に特集記事が載っている。 これは大変レベルが高い雑誌で、私は帰省のたびに高崎駅の書店で買っていた。この雑誌で、あすなろの歴史や関係した人物など、いろんなことを知ったのである。私の中では、あすなろの全体像が分かってくると、ますます、閉店による喪失感のようなものは大きくなった。再開は、だから本当にうれしかった。 この雑誌が出たのは、閉店から18年目だ。そのころから市民の間で、再開の機運はあったらしい。そして、10年あまりを経て、今年、実現した。
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 名曲喫茶とは、店内でクラッシク音楽のレコードをかける喫茶店である。あすなろは、朝の開店時はグレゴリオ聖歌、夜の閉店時は、アルトゥール・シュナーベルの演奏によるベートーベンのピアノソナタ28番と決まっていたそうだ。私は、そういう時間に行ったことがないので、聴いたことはない。  アマゾンでシュナーベルのものを探したら、ベートーベンのピアノソナタ全32曲がCD10枚組みに収められて新品980円というのがあった。 ベートーベンのピアノソナタのいくつかは、名前がついている。28番は名前がないので、番号で呼ばれる。聴いてみると、「悲愴」「月光」「熱情」など有名な名前を持つ曲などと違って、優しさに満ちた曲であった。 私は今日から、ピアノソナタ28番を「あすなろ」と呼ぶことにする。
by withbillevans | 2013-08-29 06:00 | 珈琲店
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