浄智寺を出た後、脇の道を、もと来た表通りに戻らずに、そのまま奥のほうに進んだ。山に分け入っていくような形だ。この道をもっと行けば、山の尾根に出ることも可能だ。その道は、鎌倉の街を取り囲むいくつかの山々を回るハイキングコースにつながっている。
この日は、そんなルートをたどることはせず、ご近所散歩にとどめた。
この道は、何度も歩いた。鎌倉によくある、日当たりのよくない谷筋である。この道に沿って、何軒かの民家があり、そのたたずまいが、好きなのである。
塀のような無粋なものはなく、生垣すらない家もある。外から少しだけ見える、その様子がなんとも言えずいい。
私は、庭めぐりが好きで、京都のお寺や各地の名庭園は、おおよそ見た。無名の庭も数多く見た。
個人のお宅なので、写真では紹介できないが、この道沿いのあるお宅の、住宅と庭のたたずまいは、その中のトップである、と常々思っていた。
大名庭園、禅寺の庭、浄土庭園、茶庭。日本の庭園にはいくつかのタイプがあり、特に、私が惹かれるのは、文人の庭である。樹木、草花、自然石、苔、土、石の造形物などが、ここちよいバランスで(過不足ないボリュームで)、存在する庭である。幾分、物足りなさを感じさせるくらいがいい。
小津映画に出てくるであろうと思わせるような庭。
私がそんなことを考えながら、道のわきに立って眺めていても、紅葉見物の人たちは、このようなところにはほとんど興味がないようで、大きな声でしゃべりながら、どんどん歩いていってしまう。
道路わきにギャラリーなんとか、という小さな看板があった。それを見ていると、細い道から出てきた女性が「陶芸教室とギャラリーがあります。どうぞ、寄っていってください」と言うので、後をついていった。細い坂道を、何回か直角に曲がって入っていくと、赤レンガの煙突が見えてきた。
突き当りは、予想外に広い平坦地であった。古い小さな住宅だったような建物がいくつかあった。一番奥の建物で、先生と弟子たちと思われる男性が作業をしていた。男性たちが建物から出てきて、古い手押しポンプがついた井戸で水を汲み、手足を洗い始めた。
手前の建物は、カフェになっているようだった。コーヒーを飲んで暖まろうと思ったのだが、コーヒーはないという。まだ、全体が準備中という雰囲気だった。この日は見学だけで引き上げた。
「創作和菓子 手毬」という案内板があった。おいしいコーヒー、抹茶でもいいが、を飲みながらお菓子をいただく。次回のお楽しみに取っておこう。
さすが、陶芸というアートに関係する方たちだ。あちこちに置いてあるオブジェがおもしろかった。
これから、どう変わっていくかな。
帰り際、カフェの建物の壁に、面白いオブジェがあるのに気付いた。よく見ると、クモの巣に、飛んできた落ち葉が引っ掛かってできた、自然のいたずらであった。
でも、いい感じだ。