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カテゴリ:珈琲店( 5 )

横浜のジャズ喫茶「ちぐさ」に行ってきた

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 横浜の野毛にあったジャズ喫茶「ちぐさ」が再開したと、風の頼りに聞いていた。先日、再開後初めて行ってきた。
 お昼ごろ、店の前に立った。「準備中」の札がぶら下がっていた。中から、ジャズの音が聞こえる。せっかくきたのに帰るのは惜しいと思い、ドアを開けると、私(66歳)と同じか少し上くらいの男性がいた。店主のようだ。「やってますか」と尋ねると、「どうぞ」と言う。札を間違えてかけていたようだ。
 店に入ると、大きなスピーカーボックスがこっちを向いていた。四十数年前の記憶が戻ってきた。「おんなじだ」と思った。世田谷の学生寮から、横浜まで、何回か通った。名物マスターに何か難しいことを言われないか心配しながら、隅っこでレコードを聴いていたことも、思い出した。
 当時は、吉祥寺など、中央線沿線の新興勢力が人気だった。米国JBL社の大型スピーカーで客を集めていた。それに対して、「ちぐさ」は純国産で応戦していた。マスターが頑固だったのだ。今回、チラッと見ただけだが、ウーハー(低音用スピーカー)はJBL製のように見えた。
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 飾ってあった写真パネル。右が当時のマスター、吉田衛さん、左は若きトランペッター日野テル正。
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 ドラマーの富樫雅彦。デビューは衝撃的だった。
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 店の2階が資料室になっていた。
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 再開した「ちぐさ」の外観。実は、オリジナルの「ちぐさ」は、ここから少し離れた場所にあった。その店は、今も当時の外観のまま存在するが、違う店になっていて、最近は、営業していないようだ。
 こちらのほうが、目立つ場所で、いい。
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 野毛には、この7,8年、毎年1度は行って、散策している。この、再開「ちぐさ」の並びは、以前からいい雰囲気で気になっていたところだ。

 当時のマスター、吉田さんは、若造が話をできるような感じの人ではなかったが、今の方はやさしそうだった。コーヒーを注文したら、リクエストを聞かれた。「アート・ペッパーのミーツ・ザ・リズムセクションを」とお願いした。一番上の写真に、そのLPジャケットが写っている。当時は、(常連でもない若造の私が)リクエストなんてとんでもない、と思っていた。
 当時、この店に来たときは、いつも緊張していたように記憶している。この日初めて、のんびりした気持ちになれた。年はとってみるものだ。えへへっ。
by withbillevans | 2014-02-06 06:00 | 珈琲店

高崎の「あすなろ」に行ってきた

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 喫茶店あすなろが、今年6月に、31年ぶりに再開したと、偶然ラジオのニュースで聞いた。先日、再開されたあすなろに行ってきた。 高校時代のあこがれの喫茶店であった。高校時代は1回か2回入っただけ。でも、あすなろはずっと、私の心の故郷的な喫茶店であった。 「できるだけ当時と似せたものにしました」と店員さんが説明してくれたカップで、コーヒーを飲んだ。
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 打ちっぱなしコンクリート造り。石の彫刻。音楽はクラシックのみ。客は少なかった。17歳の私の胸はビリビリ震えた。それらは私の好みに合った。いや、個人の趣味を徹底させて作り上げたそのような空間に生まれて初めて入ったのであった。大人になったら、こういうことをしてもいいんだと、思ったのであった。 群馬を離れ、社会人になってから、帰省するたびに寄った。いつもひっそりとした感じだった。そして、あすなろは1982年に閉店した。  再開したあすなろが、当時とどこが同じでどこが違うのか、私は思い出せない。現在は、地元の高崎経済大学の学生たちが中心になって運営しているという。店内は、若い人の熱気があふれていた。
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 フロアはかなり広い。2階は貸し切りでパーティーをしていた。にぎやかな声が下まで聞こえてきた。やがて、パーティーは終わり、若者たちが、階段を降りてきて、コーヒーを飲んでいる私の脇で、大声で話し始めた。私は、物分りのいいおじさんになって、ニコニコしていた。 私は、みんなが引き上げた2階に上がってみた。高校時代は、2階でコーヒーを飲んだ記憶があったからである。やはりフロアは広く、ちょっとしたイベントもできそうなくらいあった。
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 階段の壁などに、再開のいきさつを紹介する展示があった。地元新聞の切り抜きがあり、記事の署名を見たら知り合いだった。 彼は高校の同窓生だ。40年間、東京の広告会社で働いたが、その間、ずっと高崎に住み続け、遠距離通勤を全うし、地元の活性化に協力し続けたナイスガイである。
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 あすなろの外観。これも、私が初めて入ったころと、どの程度同じなのか、思い出せない。 なぜ、あすなろは、私の心の故郷なのか。私が大切に思っていることと、あすなろのアイデンティティーが同じだから。というよりも、あすなろ的な存在をいつも気にかけながら生きてきて、自分にとって大切なことが、少しずつ明確になってきたのである。
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 あすなろの創業者は、栃木県に住んでいた在日韓国人、崔華國という人である。敗戦の年1945年に発足した高崎市民オーケストラから生まれた群馬交響楽団を取り上げた映画(「ここに泉あり」55年)を見て感動し、高崎にやってきた。実業家の弟に資金を出してもらい、1957年に、200席もある大きな名曲喫茶店「あすなろ」を作った。これが地元の文化運動の拠点の1つになった。 貧しかった時代であったが、高崎には熱気があった。当時の高崎市民は「高崎を日本のウィーンにしよう」と本気で考えて活動していた。市民が、それこそ100円、200円の寄付をして、群馬音楽センターという音楽専用ホールを建ててしまったのである。 あすなろは道路拡幅計画で移転を余儀なくされ、1964年に現在地に、2代目の店として開店した。私が高崎の高校に通うようになったのは63年だから、高校に通っていた3年間に引越しがあったことになる。私は、同じ群馬でも、もっと田舎の生まれなので、そんな事情は知らなかった。2代目あすなろは、その地で、1982年までの18年間営業した。後半は、かなり厳しい経営だったようだ。  崔氏は、若いとき詩人を志していた。あすなろの経営が難しくなると、詩作に熱を入れるようになった。閉店から2年後の1984年に、詩集『猫談義』を出版し、翌年この作品でH氏賞を受賞した。70歳だったという。崔氏はその後米国に移住し、97年に亡くなった。
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 崔華國とは、韓国の慶州で生まれ、壮年期を日本で過ごし、そこで、あすなろと詩を作り、老年になって米国に行った男である。 その詩集『猫談義』を開いて見た。〝故郷に定めありや情通えばそこが故郷〟という一節で終わる詩があった。
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 あすなろの歴史などについては、地元の上毛新聞社が出していた季刊誌『上州風』の2号(2000年3月発行)に特集記事が載っている。 これは大変レベルが高い雑誌で、私は帰省のたびに高崎駅の書店で買っていた。この雑誌で、あすなろの歴史や関係した人物など、いろんなことを知ったのである。私の中では、あすなろの全体像が分かってくると、ますます、閉店による喪失感のようなものは大きくなった。再開は、だから本当にうれしかった。 この雑誌が出たのは、閉店から18年目だ。そのころから市民の間で、再開の機運はあったらしい。そして、10年あまりを経て、今年、実現した。
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 名曲喫茶とは、店内でクラッシク音楽のレコードをかける喫茶店である。あすなろは、朝の開店時はグレゴリオ聖歌、夜の閉店時は、アルトゥール・シュナーベルの演奏によるベートーベンのピアノソナタ28番と決まっていたそうだ。私は、そういう時間に行ったことがないので、聴いたことはない。  アマゾンでシュナーベルのものを探したら、ベートーベンのピアノソナタ全32曲がCD10枚組みに収められて新品980円というのがあった。 ベートーベンのピアノソナタのいくつかは、名前がついている。28番は名前がないので、番号で呼ばれる。聴いてみると、「悲愴」「月光」「熱情」など有名な名前を持つ曲などと違って、優しさに満ちた曲であった。 私は今日から、ピアノソナタ28番を「あすなろ」と呼ぶことにする。
by withbillevans | 2013-08-29 06:00 | 珈琲店

外房のおいしいコーヒー店 「KUSA.」

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 この店のコーヒーが、個人的には一番おいしいと思っている。5,6年前に知って、年に何回か行く。自宅から、車で1時間ちょっとかかる。 店の名前は、庭に草がいっぽい生えているからだと推測している。お客さんも、静かな雰囲気を楽しみにしているので、店内ではカメラなど出さず、写真は外だけ撮った。 九十九里浜の一番南。一宮町と長生村の境の長生村側にある。通りに面しているのだが、その道が海から2本目にあたるので、ちょっと分かりにくいかもしれない。
 若い夫婦が経営していて、初めて行ったころ、奥さんはおなかが大きかった。確か、出産のため、しばらくお店はお休みしますという貼り紙が出ていたような記憶がある。子供さんはもう、小学校に上がるころだろうか。

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 駐車場スペースは、舗装もせず砂利も敷いていないので、デコボコしている。建物は外観も内部も質素である。まさに草庵。しかし、心が豊かになる空間である。 東京から何千円か交通費をかけてきて、コーヒーを飲んで、文庫本を30ページほど読んで帰るのもありだと思う。耳を澄ませば聞こえてくるかもしれない九十九里浜の潮騒は、お・ま・け。
by withbillevans | 2013-05-14 18:00 | 珈琲店

神保町 「さぼうる」 M.ZUIKO DIGITAL 45mmF1.8

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 丸木の山小屋のような造りの喫茶店「さぼうる」にはよく通った。天井が低く、柱も壁も椅子もテーブルも手作り感100%。コーヒーカップは小さくて、よく煎った、苦い味のコーヒーだ。
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 半年ほど前、土曜日の午後遅めに行ったら、ちょうど店を閉めるところだった。そこで初めて店主の男性と話をした。私より、少し年上の人だった。 群馬県から来たと言っていた、手に東京のガイドマップを持った20代のカップルに、店の歴史を話していた。
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 さぼうるは、先ほどのミロンガと1,2分の距離にある。いずれも、文化財的な存在になりつつあると、感じた。
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 店名は、「お茶する」のような、「茶房」の動詞形「茶房する」からだと思っていたが、もしかして「サボル」なのかもしれない。そっちのほうが好きだ。学生時代は授業に出ないで、社会人になってからは、仕事をさぼって、喫茶店に行った。
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by withbillevans | 2012-07-28 14:06 | 珈琲店

神保町「ミロンガ」 M.ZUIKO DIGITAL 45mmF1.8 & E-PL3

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 東京で一番好きな場所は、神田神保町である。世界最大の古書店街。それだけでなく、レストラン、レコード店、スポーツ用品店など、個性的な店がたくさんある。そして何より、喫茶店が多い。 1960年代中ごろから通い始め、もう50年近くになる。この街との付き合い方はいろいろあった。最も長かったのは、この近くの職場に勤めた24年間。昼飯を食べ、コーヒーを飲み、打ち合わせのため人に会って、夜はお酒を飲んだ。古本屋さんも新刊の本屋さんも、あたりまえのように、そこにあり、出入りした。 2004年に勤め先を替えてからも、神保町にはよく通っている。
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 ミロンガに行くようになったのは、会社が変わってからである。昼間でも、「ま、いいか」と言って、コーヒーではなくビールを飲むことに、それほど抵抗がなくなってからである。
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 1年くらい前であった。朝日新聞の書評欄に、ミロンガの元店員の女性が書いたらしい、ある本が紹介されていた。店の客はそれほど若くないカップルが多く、ほとんどは夫婦ではない、というような内容だと、記事にはあった。もちろん、記事にはミロンガの名前は出てこないが、神保町のこういう店と言えば、簡単にここだと分かる。その記事を読んでから(本は読む気にならないが)、ミロンガの店員は、そんなことを考えて、コーヒーやビールを出しているのかと、思った。 
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 この店の隣も、向かいも、似たような雰囲気のお店であり、この小路を歩くと、昭和30年代の雰囲気に浸れる。
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by withbillevans | 2012-07-28 13:41 | 珈琲店