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ヒメシャラが咲いて、散っている

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 関東地方は、梅雨入り3日目にして、早くも〝梅雨の中休み〟である。朝からいい天気であった。今年3月に、植木屋に持ってきてもらったヒメシャラが満開である。白い花が、ポタッ、ポタッと音を立てて落ちていた。

 昨夜、Sさんの通夜があった。83歳。会社の大先輩である。高校も大学も、私の先輩だった。職場でも、同じ部門で働いた。

 数日前に、このブログで紹介したYさん、私にNIKON FEを置き土産にして福岡に転居したやはり会社の先輩の、あのYさんから、Sさんに関する話を聞いたことがあった。亡くなったSさんは、Yさんより4歳上である。

 ある時、SさんがYさんに言った。「Yさん。今度、千駄ヶ谷(信濃町だったかも)の喫茶店に、ボクと一緒に行ってくれるかな」
 Yさん「私にできることなら、なんでも。どんなことでしょうか」
 Sさん「あのね、先日、偶然そこの喫茶店に入ったんだ。そうしたら、20歳くらい、いやもしかしたら10代かもしれない、きれいなウェートレスがいてね。感じがいい娘なんだ。その娘がボクのほうをちらちら見るんだ。最後にレジで会計するとき、ニッコリ笑ったんだ」
 Yさん「ほー、それでどうしましたか」
 Sさん「どうも、ボクに気があるんじゃないかと思った」
 Yさん「 !? 」
 Sさん「その娘に会いに行くから、ついて来て欲しい。ボクの一方的な思い込みではないと思うんだが、念のためキミの客観的な目で判断してもらいたい」

 数日後、2人はその喫茶店に行った。Yさんは、当日のことをあまり詳しくは教えてくれなかったが、彼女にそんな気配は、まったくなかったことは、確かなようだ。

 当時、Yさん76歳、Sさん80歳くらい。

 人生常に前向き。思いこんだら一直線。でも、ちょっと詰めが甘いんだなァ。そういうSさんが、私は大好きだった。みんなに愛された。

 Sさんは引退後も、髪が真っ黒だった。ところが、昨夜、棺の上に置かれた写真のSさんは、まったくの白髪だった。初めて見る白髪のSさんの写真、いつ撮ったものだろう。私が知っている、どのSさんよりも、ニコニコしていた。
 青空を背景に、若葉と重なり合って咲く、ヒメシャラの小さい白い花を見ていたら、昨夜のSさんの写真が目に浮かんできた。



 
by withbillevans | 2013-05-31 20:00 |

タチアオイ咲く

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 日比谷公園に入っていくと、タチアオイが咲いていた。白くて薄手の花弁は、花のクールビズだ。真っ青な空を背景にしたかったのだが、曇っていた。
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 この花の名前は忘れたが、かつて庭に植えたことがある。1年で撤去した。根がはびこってすごいことになったからだ。茎が針金みたいに硬い。優雅さに欠ける。
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 ヤマホロシも涼しそうな花を咲かせる。花の数がそんなに多くなく、いい感じ。この花も植えたことがあるが、今はない。ツルを這わせる場所が4か所しかなく、モッコウバラの白、黄、ナニワイバラ、カロラインジャスミンの4株に押し出された。
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 ラベンダーがいい香りを放っていた。ガーデニングを始めたころ、植えたことがある。今頃の季節だったが、朝、雨戸を開けたら、いい香りが部屋に入ってきて、幸せな気分になった。今は、イングリッシュガーデンを卒業したので、この花はない。

 それから、タチアオイであるが、房総の田舎をドライブしていて、道路わきで立ち枯れたタチアオイから、実をもらってきた。数年間、毎年、花を咲かせてくれたが、最近は、芽を出さなくなったので、やはり今はない。

 ということは、いずれも庭に植えたことがあるのだが、今その姿はないのである。庭の広さに限界があるので、なんでも育てるわけにはいかない。公園やよその庭できれいに咲いているのを眺めて、目で楽しんでいる。

ブルーガーデンを卒業した理由
 掲載した4枚の写真の花の色が「青」だ。タチアオイは白だが、後方のアジサイは青い。イングリッシュガーデンを始めたころ、教科書にしていた本に、庭に植える花は色を統一する、白い花を集めるとホワイトガーデン、青い花ならブルーガーデン、とあった。私はブルーガーデンにした。
 なるほど、色を統一すると、初心者でもそれなりに見られる庭を作れる。数年、やってみたが、あるとき、ゴチャゴチャっと色を混ぜても、レベルの高い庭は作れると思うようになった。自由にやる方が、面白いと思った。そして、自分で思う通りにやることにした。
 ただ、色の統一という考えは非常に勉強になった。日本にはない発想だと感心した。日本庭園の茶室の庭は、花が咲く木は使わず、常緑の地味な木が中心だが、これはまた違った意味で色を統一をしているのかもしれない。
 一方、農家の庭は、そんなことは考えず、広いスペースにド派手な花が無秩序に植えられている。混沌、混乱であるが、それゆえの面白さがある。私は嫌いではない。実践しようとは思わないが…。

 農家の庭ついでに言うと、農家によくある花。カンナ、ダリヤ、グラジオラス、それにタチアオイなどの花は、いずれも昭和の中ごろまでに流行したものだ。花は原色で色鮮やか。花も背丈も大きい。私の子供~青春時代に身近にあった花たちだ。そういうことで、ときどき、懐かしくなって、育てたくなる。
 ところが、今はホームセンターや園芸店では売っていない。売れないから、置いてないのだろう。売れないのは、時代に合わないからなのか、あるいは、丈が大きいので物理的に植えられないからなのか。不思議である。
by withbillevans | 2013-05-29 18:00 |

梅雨入り カウントダウン

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 東京・丸の内の三菱1号館の裏庭。関東の梅雨入りも、間もなくだろう。雲の間からの日差しが、貴重だ。バラがきれいである。
 後方に、大きなシャラ(夏椿)の木があって、つぼみが膨らんでいた。梅雨入りの日に、最初の1輪が咲くことがあるが、今年はどうだろうか。梅雨のほうが早い気がする。
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 男性2人が、花ガラを摘んでいた。いい仕事だなぁ。
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 1、2輪もらってみようかと、思っただけ。袋の中に顔を突っ込んでみた。いい香りがした。
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 広場に面して、おしゃれな店がある。カゴの戸を開けているのに、逃げない鳥。鳥は剥製、後ろの梯子を昇っている人間は本物。
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by withbillevans | 2013-05-28 18:00 |

滋賀県草津市 その3 2つのパワースポット?

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 立木神社という、立派な神社まで歩いた。もっと歩きたかったが、時間のこともあり、そこからホテルに戻ることにした。帰り道は、旧東海道の本道ではなく、裏通りを歩いた。
 遠くからでも屋根が見えるほど大きい、立派なお寺もいくつかあった。時間があれば中に入りたかったが、素通り。すると、気になる門のある建物があった。この意匠は、奈良の何カ所かでみたお寺の鐘楼門に似ているが、窓には板戸があり、閉まっており、鐘があるようには見えない。不思議な形だ。石柱になんとか寺と書いてあるようだが、読めなかった。
 門をくぐった。参萬伍千円とか寄付金額が書かれた古びた板がびっしりと貼られていた。鐘楼が目に入った。やっぱりお寺だった。
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 鐘楼に近づいてみて、また驚いた。釣鐘が、どうも、普通のものと違うようだった。
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 金属ではなく、コンクリート製だった。触ってみた。確かにザラザラしたコンクリートの地肌。古くなって、ボロボロはがれそうだった。
 念のため、たたいてみたが、何の音もしなかった。
 妄想が広がってきた。戦争中、軍艦や大砲をつくるために供出させられ、代用品を釣り下げている。泥棒に盗まれた。でも、なぜコンクリートなのか。昔、筋トレのバーベルが買えないので、コンクリートで自作した青年を知っている。
 何か重量物を釣り下げないと、鐘楼の構造上、不安定になるのかもしれない。理由を聞けばよかったのだが、早朝のため人がいないので聞けなかった。 
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 コンクリート製の釣鐘の脇に、黒い顔の猫のお面が、糸でぶら下げてあった。風で揺れていた。すぐ隣に民家があって、2階の窓で、影が動いた。猫がガラス窓越しにこっちを見ていた。全身真っ白な猫であった。
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 鐘楼の脇に、枇杷の木があり、実が大きくなっていた。子供のころ、庭に枇杷を植えると、貧乏になるという言い伝えがあった。でも、私が育った家には、大きな枇杷の木があり、よく食べた。当時は、何をしても貧乏だったから、食べられる実がなる木は、貴重だったので、言い伝えより、現実が優先されたのだろう。
 私が育ったのは北関東だが、近江では、そういう言い伝えは、なかったのだろうか。
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 帰りがけに、門を振り返ると、最初に見た時より、さらに趣があった。にぎやかなお寺ではないが、霊のようなものを感じた。
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 車が入れないような細い道を歩いていたら、ご婦人が、道路わきの小さな祠に、手を合わせていた。水を供え、周りを掃除していた。
 毎朝、欠かさないのだろうな、と思った。少し立ち話をした。そして、奥を見ると、また別の祠があった。そちらもきれいにしてあった。花や水が、毎日取り変えられているようだった。
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 最初の祠はお地蔵様がまつってあった。右側は、鳥居があり、別の神様をまつっているようだった。
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 ここはT字路の突き当たりのようになっていて、ここにも、ビート君がいた。どこにでもいて、どこにも似合う人だと思った。
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 さらに隣の、花で飾られていた家に、「町内会長」の札が掲げられていた。きれいに咲いた花の間に、ヨーロッパ風の彫刻の女神が、壺を持って立ったまま思案していた。足元には、His master‘s voiceのワンちゃんが首をかしげて、やはり何か思案していた。
 もう少し経つと、近所の人たちが、このあたりに集まってきて、いろいろ会話を楽しむことだろう。
by withbillevans | 2013-05-27 18:00 |

滋賀県草津市 その2 面影ストリート

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 天井川の下のトンネルを越えると、そこは江戸時代。のはずだったが、昭和の中期ぐらいの趣だった。
 私は、町歩きする場合、事前の情報収集などやらない。行き当たりばったりでいくことにしている。ここに記すことも、自分の目で見たり、地元の人に聞いたりしたことが中心だ。細かいことは、後日調べる。
 草津もそうであった。東海道53次の1つであり、中仙道との合流点であることくらいは知っていた。安藤広重の浮世絵で、草津はどんな絵柄だったかは、覚えていない。
 草津宿には本陣が2つ、脇本陣がいくつかあった、本陣の1つが残っており、一般公開されている、というようなことは、後日知った。今回の訪問は早朝だったので、前を通っただけでがまんした。
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 脇本陣の1つはカフェになっていた。
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 少し歩いていくと、いい感じの建物が見えてきた。赤いつるバラがからまっているのが素晴らしい。
 こういう建物は、文化的価値があるというわけでもないので、公的に保存されることはないだろう。でも、こういうのが時間を感じさせてくれる。
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 ウィンドーの形から、元は食堂のようであったが、今は何屋さんか分からない。
 ビートたけしのポスターがあった。この人はずいぶん昔からいるような気がする。水原弘や大村混、それに松山容子とかと同年輩に思える。由美かおるとどっちが上なのだろう。ビートくんはこういう雰囲気の町によく似合う。
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 この店は角地になっていて、横丁があった。その細い路がまたいい感じだった。さっそく行ってみる。
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 写真館のウィンドーである。地方都市に行くと、写真館が気になる。まず建物の風情、そして飾られている写真、そのうえ、古いカメラなどが置いてあると、とてもハッピーになる。
 埼玉県秩父市、栃木県足利市、神奈川県鎌倉市で見た写真館が、今のところ、私の〝日本の写真館ベストスリー〟である。
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 写真館の先にも、面白いものがありそうだったが、それは後回しにして、元の道に戻った。
 トンネルに続いている道は、本陣や脇本陣があることから分かるように、昔の東海道の街道であった。ようやく、人通りが増えてきた道を、さらに、きょろきょろしながら歩いていった。
by withbillevans | 2013-05-26 18:00 |

笠森寺 首都圏遊歩道

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 東京近郊の山歩きを特集したテレビ番組を見ていたら、山歩きがしたくなった。近所の山といっても、ここは千葉県なので、すぐに行って上れるような山がない。
 車で1時間弱のところにある笠森寺にした。お寺の裏山に首都圏遊歩道の看板が立っていたことを、思い出した。

 参拝客用の駐車場に車を置いて、寺は横目に見ながら、さっそく歩き始めた。この地域特有の〝笠森層〟という泥岩層の切り通しを抜けていく。
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 尾根伝いの道だった。これなら、山歩きに不慣れな自分にも歩けそうだ。
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 すぐに、木材で作った階段状の道になった。上がり下りが結構きつい。階段は、普通の坂道より、ずっと疲れる。
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 鉄骨造りの展望台があった。周囲の木が大きくなっていて、3方向は見えなかった。かすかに、笠森寺の本堂の屋根が見えた。
(上の写真には、お寺は写っていない)
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 階段状の道はどこまでも続くようだった。不安になった。5kmほど行って帰ってくる行程を考えていたが、3kmほど行ったところで弱気になってきて、引き返すことにした。
 帰路、駐車場までショートカットできそうな、遊歩道の支線があった。そっちに進むと、道に杉の木が倒れていた。よっこらしょと、またいで進んだ。
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 道の真ん中に、動物の糞が落ちていた。何個もあった。あまり消化されていない木の実がいっぱい含まれていた。シカかイノシシか。
 さらに進むと、道がなくなっていた。そこで初めて、杉の木が、通行止めのしるしだと分かった。人が通らないので、動物の領分になっており、だから、糞がたくさんあったのだろう。
 木が倒れていた場所に、杉の木の根がなかったことに「おかしいな」と一瞬感じたのだが、ちゃんと気づくべきであった。分岐点まで引き返した。
 実は、この間違いの前に、一度同じことをした。やはり、行き止まりの道に入ってしまい、戻った。つまり、ショートカットしようとして、2度も無駄足を踏んでしまったのだ。
 結局、当初考えていた行程と同じくらい歩いた。
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 房総の山は、ほとんどが常緑樹からなる照葉樹林である。暗い感じがして、本当はあまり好きではない。ところどころに、ヤマザクラやナラなどの広葉樹があり、こういう木を見ると、ホッとする。
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 あまり日が差さない照葉樹林だから、花が咲いていたりする場所は少ない。
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2時間余り歩いて、お寺に戻ってきた。
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 参堂近くの民家の跡。1本だけ残っていたセンダンの木に花が咲いていた。この木は、花が咲くときだけ、それと分かる地味な木である。
by withbillevans | 2013-05-26 06:00 | 散歩

日比谷公園 満月

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 夕方、日比谷公園を歩いた。ビールのみイベントで、すごく賑わっていた。特設ステージのバンドの演奏に合わせて、大きな輪になって踊る人たち。暗い木陰で、ウインナソーセージを肴に、1人で飲む男性も。
 空を見上げたら、満月(のような月)が昇り始めた。AFレンズは、月にピントを合わせるのが難しい。
by withbillevans | 2013-05-24 23:41 |

滋賀県草津市 その1 天井川のトンネル

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 滋賀県の長浜市、草津市を訪問した。仕事での訪問、しかも団体行動だったが、仕事前の早朝の2時間ほど、草津の古い町を散策できた。数日前に入手したOLYMPUS E-PL3+M.ZUIKO DIGITAL 14-42mmF3.5-5.6 ⅡRの初出動となった。

 午前5時に目が覚めた。ホテル出発は8時45分。朝食やシャワーなどの時間を考えると、2時間くらいは歩ける計算だ。よし、行くぞ!
 フロントの若い女性に「古い町は近くですか?」と聞いた。地図をもらって、教えられた方向に歩き始めた。
 草津駅から5分ほど歩いていくと、土手にぶつかった。
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 土手の下に、土手に沿って通れる道があったが、土手に上る坂道があったので、そちらに進んだ。坂の途中で、ハコネウツギの花が咲いていた。この木を庭に植えようと思ったことがある。でも、枝が広がるので、農家の庭や公園みたいに広いところでないと無理だと知って、あきらめたことを思い出した。
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 さらに上っていくと、視界が開けた。なんと、そこは、かなり幅の広い川だった。水は流れていなかった。自分が上ってきたのは川の堤防だったのである。
 堤防の高さは、近くのマンションの4~5階くらいまであった。川の底は、町より高い。天井川であった。
 川には、歩道だけの細い橋が、何本か架かっていた。通学の子供たちが徒歩で、あるいは自転車で渡っていた。 
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 驚いたことに、川の下を鉄道が通っていた。トンネルが掘られ、そこを東海道線の電車が走っているのである。川を渡るのではなく、川をもぐっているのだ。
 後で調べたら、この川は草津川と言って、天井川として有名だった。ウィキペディアにも載っている。詳しくはそちらを見ていただきたいが、ある時代、草津川は何回かの洪水の結果、天井川になってしまった。そうなると、さらに洪水がひどくなる。
 このため、別の低い場所に新しい放水路を作り、そちらに水を流した。21世紀になってからのことだ。もとの天井川は、川としての機能をなくした。それが、今、残っているのだ。つまり、川の跡、川の抜け殻なのだ。
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 川(の跡)の下を通っているのは東海道線だけではなく、国道も生活道路も通っている。
 土手を降りて、土手に沿っている道を歩いていくと、川(の跡)をくぐるトンネルがあった。駅前の商店街のアーケードが、直接トンネルにつながっている。初めて見る景色だった。あれ、自分はどこにいるのだろうか。地下なのか、地上なのか、それとも空中なのか。頭が混乱してきた。
 ホテルでもらった地図を見ると、川の反対側が古い町になっている。3次元世界でなく、2次元世界に単純化してみた。「そうか、トンネルを抜けると、古い町に抜けられるのか」と合点した。ようやく、頭が整理できた。
 そして、私が大好きな、古い町を歩くことがができるのかと思うと、いよいよ気分が高揚してきた。

(続く)
by withbillevans | 2013-05-24 18:00 |

2台目のE-PL3を購入 今度はZOOM付き

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 標準ズームレンズが付いたOLYMPUSのE-PL3を購入した。ボディーはすでに持っているので2台目になる。MICRO3/4は、他にPanasonic製を2台持っているが、そちらは使用頻度が落ちると思われるので処分する予定。これによりMICRO4/3は、E-PL3の2台だけの体制になる。
 購入動機は、持っているレンズで一番の広角側が、換算38mmなので、28mmくらいが欲しくなり、ある程度の性能でいいということで検討し、OLYMPUSのキットズームに目をつけた。そのレンズにボディーが付いたのが、ヤフーオークションに出品されていたので、落札した次第。バッテリーと充電器が欠品の新品で16800円。1年前に、ボディーのみ3万円近くで購入したことを思うと、大変安くなっていた。このシリーズも2世代前になるので、これだけ安くなったのだろう。

お世話になったG1とGF1
 MICRO4/3を2台持っていくこともあり、そういう場合は、バッテリーなどを考慮すると同一機種が便利だ。性能はみんな似てきている。PanaのG1とGF1にはずいぶんお世話になった。非常に良いカメラであった。
 以前は、カメラはある程度の大きさ、重さがあったほうが使いやすいと思っていた。しかし、MICRO4/3のようなカメラは、とにかく小型・軽量なのがいいと思うようになり、小型・軽量のE-PL3に統一した。
 朝5時ごろ起きて、試写した。このズームレンズの性能は悪くないようだ。上の写真は換算28mm相当で撮ったものである。
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 上の写真は換算35mm相当である。
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 上の写真は換算50mm相当である。
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 上の写真は換算70mm相当である。
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 上の写真は換算84mm相当である。
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 上の写真は、いつもE-PL3で使っているSIGMA19mmで。換算38mmである。やはり、単焦点のSIGMAが2ランクくらい上の写りがするような気がする。
 このズームは、望遠側のほうはもうちょっとがんばってほしいが、広角側は、これくらいでも、まっいいかと思った。

フルサイズ・ミラーレスを早く出して
 私のシステムは、どんどん安いほうに移っていく。ついに、ボディー+レンズで16800円。一部欠品があるとはいえ、新品である。
 デジタル一眼レフがメーンになったとき、ウン十万円のシステムを、いくつか使っていた。それが、どんどん安いものに移っていった。そのようになったのは「軽い・小さい」システムを求めた結果である。技術進歩のおかげで、小型軽量の低価格製品の性能がどんどん良くなってきた。
 個人的に、フルサイズ一眼レフなど高くて高性能な製品にも興味があり、ほんとにいいものなら24回払いで買ってもいいと思っているくらいだ。しかし、重さとでかさを考えると、そういうシステムは使う気がしないのである。
 ということで、16800円というようなシステムで、当面はガマンしている。個人的な希望は、低価格フルサイズ・ミラーレス機の早期発売。数十年前のLEICA,CONTAX,KONICA,MINOLTAなどのMFレンズを、そのままの焦点距離で使ってみたいのだ。
 この半年ほど、文庫本を読むのが、以前と比べ、厳しくなってきた。早く出してもらわないと、視力が弱くなって、MFレンズが使えなくなりそうだ。

 
by withbillevans | 2013-05-21 06:00 | 写真機

先輩のYさんにNIKON FEをいただいた

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 今日は、Yさんが、福岡の新居で最初の朝を迎えたはずである。元気だろうか。
 40年近く前のことだ。就職して、私が新しい職場に配属された日、先輩社員は出払っていて、Yさんだけがいた。その偶然が、Yさんとの長い付き合いの始まりだった。

 数年前、Yさんが私に言った。「キミ、初めて会った日に、キミが僕に言ったことを覚えていますか」
 私、「新人の●●です、よろしくお願いします、と挨拶しました」
 Yさん、「その後で、Yさんは現役ですか?と聞いたじゃないか」
 私、「そうでしたか。そんな失礼なことを言いましたか」
 Yさん、「言った」

 それを聞いて、私も、言ったのが本当だという気になった。まず、Yさんは東大で西洋史を専攻した歴史学徒なので、史実に忠実である。また、私が当時、そう思ったのも事実だったからである。
 そのころ、40歳代になったばかりだったろうが、Yさんは落ち着いていた。その後もずっと冷静沈着な紳士であった。私はその反対の性格なのだが、Yさんはいつも私を引き立ててくださった。
 われわれの職場は、熱気を求められる仕事をしていた。そういうホットな仕事にぴったりの資質の人間が多かった。しかし、それだけではバランスに欠け、いい仕事はできない。クールな人物も必要だった。Yさんは冷静派の最右翼だった。

 Yさんは定年後、別の会社に移り、経験を生かし若い人を育て、その小さい会社の基礎を作るという立派な仕事をなさった。そして、そちらも引退して、後継に私を引っ張ってくれたのである。

 ある時、「僕は東京で生まれて、東京で育って、東京で仕事をしていたので、東京以外に住んだことがないんだよ。せめて最後は地方で生活したいと思った。ということでこの10年ほど、あちこち旅しながら、これだという場所を探していたんだ。ようやく、住むなら福岡市だと確信した。魚がうまい! 女性が男を立ててくれる! 歌舞伎も相撲もある! 寒くない! 南海トラフから遠い! こんないいところはない」と指を折りながら、福岡をほめ上げた。続けて、「来年春、引っ越す」と唐突に言った。

 そして、本当に、今週引っ越していった。引っ越しに当たって荷物を整理して、使わなくなったカメラを、私に置いて行ったのである。

 いただいたカメラNIKON FEには、NIKKOR-H Auto 50mmF2.0レンズが着いていた。私はこのレンズをNEX-5Nに装着して、Yさんの写真を撮った。
 40年近く前と変わらない落ちついた紳士が写っていた。私は、「Yさん、喜寿を過ぎた人には見えません。来年が還暦と言っても通用します。どう見てもまだ現役ですね」と言った。その言葉の、5%くらいはカメラをいただいたお礼の世辞であったが、95%は本心であった。
 私は、例の話を思い出し、現役という言葉を使ったのだが、Yさんは、〝現役〟と言われて、ポッと頬を赤らめた。福岡の美点の2つ目が頭に浮かんだ。
by withbillevans | 2013-05-17 18:00 | 写真機