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タグ:NEX-5 ( 67 ) タグの人気記事

春の花が咲き始めた日比谷公園

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 日本中、春の花が遅れているようだ。都心の日比谷公園も同じだ。本格的な春を告げる黄色い花、サンシュユがようやく咲き始めた。
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 ウメは五分咲きというところかな。一輪も咲いていない木もある。
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 昨日と今日、花壇用の花が届いた。この花苗を、みんなで植えるのだ。
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by withbillevans | 2013-03-07 23:17 |

デジカメにビンテージは存在するかKONICA Revio KD-510Z

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 ひょんなことから、引き出しに入れっぱなしにしていたKONICA Revio KD-510Zを引っ張り出し、手にとって眺めた。うーん、格好いいカメラだ。でも、10年近く前に入手したものなので、実際に使うことはない。このカメラは、飽きっぽい自分にしては珍しく、4~5年も使った。
 
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 私の好きなカメラメーカーであるKONICAが全力投入して作ったと聞いたので、買った。かなり高かった。写りは非常に鮮明だった。今考えると、ちょっと輪郭強調が強すぎた絵であった。
 全身金属の剛質感も気に入った。シャッターを切ると、レンズ下の3cmくらいあるラインが左から右にチャッチャッチャッと移動しながら青く点滅するのも良かった。レンズカバーに付いた小さな4つの金属製突起など最高だった。
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 カメラのキタムラなどが、「どんなカメラでも2000円で下取り」などと宣伝したとき、このカメラを持っていこうと思ったこともあるが、そんなことをしなくて、本当に良かった。私の頭の中では、KONICA Revio KD-510Zはすでに、ビンテージになっている。誰にもやらないよーだ。
 歴代のKONICAカメラの中で最も美しいと思っているKONICA Ⅱ型と並べてみた。曲線をデザインに取り入れるのは難しいだろうが、大胆にやっている。
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 私の先輩にして友人の建築家M氏は、「美」を基準にして生活している。自宅の設計はもちろん、家具、什器すべて、「美」を基準にして選んでいる。カメラもそうだ。
 彼は、学生時代に入手したKOWA SIXとNIKON Fの2台を30年くらい使った。KOWA SIXは、本当はHASSELBLADが欲しかったのだが高価過ぎて買えなかったので、シンプルデザインが似ていなくもないので、購入した。NIKON Fは、勤務先の設計事務所が火事になって、所有していたPENTAX SPが焼失し、その代替品としてもらったのである。
 M氏はデジタル時代になって困った。買いたい気にさせる美しいカメラがない。必要に迫られて、1台だけ買ったのが2003年発売のCONTAX TVS DIGITALであった。かなり使って、次に買ったのがOLYMPUS PEN E-P1。この10年間で、デジカメはこの2台しか買っていない。M氏の本棚には、このKOWA SIX、NIKON F、CONTAX TVS DIGITAL、PEN E‐P1の4台が大切に保管されている。私も、この4台のデザインはいいと思う。
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 10年、20年、あるいは50年経って、デジカメは愛玩あるいは蒐集の対象になるだろうか。可能性はかなり低いように思える。
 カメラより、デジタル化が10年以上前に始まったオーディオ機器では、古いアナログ機器は蒐集の対象になっても、CDプレーヤーなどは、実用用途での需要はあっても、趣味の対象にはなっていないように見える。 
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 KONICA Revio KD-510Zをカッコ良く撮ってやろうと、何枚か撮ってみた。
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by withbillevans | 2013-02-25 21:04 | 写真機

源氏物語 朋あり遠方より来る

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 昨夜、与謝野晶子訳『源氏物語』を読了した。午前2時ごろだった。文庫本で5巻。夏休みごろから、いろいろな本を読む間に、あるいは電車を待つ10分くらいの間にと、少しずつ読み、ようやく終わった。
 最後は、読んでいて、終わるのが惜しくなった。また、長い間の宿題をようやく片付けたような気もした。原文で読むのは、もう少し先の楽しみとして、次は、谷崎潤一郎の訳を読みたい。谷崎源氏の文庫本の第1巻は入手済み。

 東日本大震災の前の秋だったか、ドナルド・キーンさんの講演を聴いた。彼が米国の田舎町の学生のころ、アーサー・ウェイリーの英文訳『源氏物語』を、古本屋の店先で読んだ。「戦争のことを書かなくて、こんな長編小説を書く日本人とは、どんな人たちなのだろうか?」。こう思って、彼は日本語と日本文化を学び始めたそうだ。
 こういう発想ができる人間を、私は尊敬する。講演を聴いたあと、私は、キーンさんの著作をいくつか読んでみた。そして、今回、彼に後れること数十年、現代語訳であるが源氏を読み通した。
 また、先日、『源氏物語作中人物事典』など、参考書も買ってみた。読み始めたたところ、これも面白そうだ。

誰をどのレンズで撮るか
 私は、与謝野晶子訳『源氏物語』を読んでいる最中、登場人物の誰が好きか考えていた。ナンバーワンは、六条御息所であった。
 また、登場人物の誰を、どのレンズで撮るかも考えていた。
 紫の上は、Carl Zeiss Planar50mmF1.4しかない。明石の君は、LEICA SUMMICRON R 50mmF2.0である。そして、六条御息所は、KONICA HEXANON AR57mmF1.2ということになろう。
 六条御息所に次いで、私が好きなのは、明石の君である。
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 本日午後、拙宅に、大学時代に学生寮でともに生活した3人の友人が来る。2年先輩、1年先輩、同期、の3人である。
by withbillevans | 2013-01-27 16:00 | 読む

思い出のレンズ=6= Canon FD35mmF2.0 SSC(その2)  再購入したとしても

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(凍りついた車のフロント窓)

 Canon FD35mmF2.0 SSCは、1970年代のFD SSC時代。つまりCANONがNIKONを追い上げようと、その体制を整えつつあったころの、同社ラインナップの中で、非常に評価が高いレンズであった。
 この時代も、広角系はF3.5とかF2.8が一般的で、F2.0は高級品であった。それゆえ、このレンズは値段も高かった。社会人になったばかりの私には、高嶺の花だった。
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 デジタル一眼が登場しても、フランジバックの問題で使うことができず、独り蚊帳の外にあったCANON FDレンズが、MICRO4/3の登場で、アダプターを介して使えるようになり、このレンズが欲しくなった。
 しかし、程度のいいのは、なかった。多分、放射能レンズだったので、ほとんどの個体が、ガラスが黄色くなってしまっていた。あるとき、オークションで落札したのは、一段とひどかった。長年使用していたという出品者は、その個体をいかに愛していたか、いかに高性能かということを綴った手紙を、商品につけて送ってきた。しかも、発売当時の、雑誌の評価記事の切り抜きまで同封してあった。
 そういう気持ち、私にもよく分かる。だが、レンズが想像を超えてひどかった。黄色を通り越して、茶色くなっていた。ガラス製の醤油さしの底に古い醤油がこびりついているような感じだった。普通、こんなレンズは売らない。せいぜい、ジャンク品とことわって、500円くらいの値段をつけるくらいだ。
私は、送られてきた品物が、あまりにもひどい場合は、返品を求めることにしており、そういう場合は、出品者も応じる。このときは、相手はいい人で、そういう事情を知らない、まあ空気の読めないだけの人なのかと、あきらめた。こういう〝善意の人〟ほど、扱いに困るものはない。 (と、書いてきて、今、気づいたのだが、確信犯だったのかも!?)
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 そんな経験をした後に見つけたのが、新品同様のこの個体。レンズもまったく黄変していない。うれしかった。使ってみると、やはり、いい。
 でも、少し使っただけでなぜ手放したのだろう。それは、焦点距離35mmが激戦区だからだ。もっといいのがある、はずだ。そうなると、Canon FD35mmF2.0 SSCといえども、やはり出番が少なくなる。あまり使わないものは手元に置いておかないことを決め事にしているので、えいやっと、手放したのである。
 実際、Canon FD35mmF2.0 SSCの売却代金は、次の35mmレンズの購入資金の一部になった。それは、NOKTON 35mmF1.2である。こちらが、Canon FD35mmF2.0 SSCより、ずっと素晴らしいかどうか、まだ、結論が出ていない。あまりに立派な造作なので、もったいなくて、ガンガン使う機会がまだないのである。35mm単焦点では、YASHICA ML35mmF2.8の出番が多い。
 私のことだから、何年か経って、またCanon FD35mmF2.0 SSCが欲しくなって入手することがあるかもしれないが(あんなきれいな個体は無理だろうが)、そうしても、やはり同じような理由から手放すことになるだろう。 
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 この冬も寒いが、2011-12年の冬も寒かった。私は、原発事故や余震に備え、電気を使わない石油ストーブを秋のうちに注文した。買ったのは、英国発祥のアラジン・ブルーフレーム。予想通り、冬になると品切れになった。
 本格的に寒くなって、実際に使ってみると、部屋が暖まらない。部屋の容積に比べ、ストーブが小さすぎたようだ。
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 そこで、大き目の国産の反射型に買い換えたら、暖まった。アラジンは、2,3回しか火を通さなかったので、オークションに出した。買い値よりやや高いくらいの値段で売れた。反射型はアラジンの3分の1の値段だった。その差額分は、「思い出のレンズ=6= Canon FD35mmF2.0 SSC」の購入価格とほぼ同じだった。
 アラジンを送り出した後、しばらくして、Canon FD35mmF2.0 SSCも、私の元を、旅立った。
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 アラジンにも思い出がある。高校の受験勉強をしていた冬、長兄が、まだ少なかったであろう自分の給料で買ってくれたのである。
 50年前、本当の英国製だったアラジンは、高かった。そのストーブは、まだ、実家に保管してあるはずだ。数十年使われたアラジンは、緑色のホーロー塗装がひび割れ、変化し、志野焼の茶碗のような味になっていた。
 茶色のレンズはいけませんが、使い込まれて志野焼の味が出たアラジンは最高ですよ。最高!!!
by withbillevans | 2013-01-14 18:00

武相荘 冬  そして、ティダマンディでお昼ご飯 

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(行くたびに、裏山の雑木が大きくなっている)

 仕事関係で知り合いのお嬢さんのお母さんが、町田市の郊外で、変わったレストランをやっているというので、昨日土曜日に、同僚たちと連れ立って、ランチを食べに行ってきた。
 せっかくだからと、近くの武相荘(旧白洲次郎・正子邸)に寄ってからにしようということになった。
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 武相荘は何回目かの訪問。室内が撮影禁止なので、カメラ目的の訪問場所としては、あまり…。
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 NEX-5にCanon NewFD 50mmF1.4を持っていったが、アダプターの操作を間違えて、すべて絞り開放になってしまった。
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 また、グループでの訪問であり、時間も短時間なので、撮影はなでた程度だった。あまり、お見せしたくないようなものばかりだ。
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 室内の展示は、正子氏の蔵書と、次郎氏の、子供にあてた「葬式、無用の事。戒名、不要の事」という簡単な遺書が、参考になった。
 正子氏の書斎は、北向きの小さい部屋で、机は掘りごたつになっていた。でも、冬は寒いから、食堂で原稿を書いていたのだろうと、推測する。
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 次郎氏は遺品として、屋根のない、外国製スポーツカーを残した。これは、カッコイイことである。納屋には、トラクターも残っていたが、これも、カッコイイ。
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 さて、昼飯時になったので、目的のレストランに向かった。
ここからは、SIGMA19mmF2.8 EX DNで撮影)
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 知り合いのお母さんがやっている店は、山の中腹に建つ、農家の作業小屋を改造した建物であった。
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 料理は、奄美大島、徳之島の郷土料理が中心。お母さんは、子供たちの教育環境を考え、こういう自然がいっぱいの場所で生活し、そのときに覚えた料理を今、お客さんに出している。
 上の料理は「鶏飯(けいはん)」。白いご飯に、味付けした具を載せ、だし汁をかける。具にはシイタケなどのほかに、パパイヤなど南の食材も入っていた。おいしゅうございました。
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 店の名刺。ここは、東京都町田市という、首都圏の立派な市なのだが、道路が複雑で、なかなか、たどりつけないのだそうだ。
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 われわれが乗っていった車の名前が、店の名前「ティダマンディ」と似ていたので、大笑いした。
by withbillevans | 2013-01-13 18:00 | 散歩

旧型Nikonレンズ購入。それから NIKONとCANONに言いたいこと

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 元旦に、Nikomat FTNを入手。Nikkorレンズを持っていなかったので、1週間遅れで、旧型のMFレンズをオークションで落札した。
 到着したのは、Nikkor-S Auto 50mmF1.4。多分、両者の発売時期は合っていると思う。Nikkor用のアダプターがないので、どんな写りか、確認できない。いずれ機会があったら。
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 絞りをF5.6 に合わせ、爪をレバーに引っ掛け、絞り環を左右にガチャガチャ回す。これも久しぶりにやった。
 かつて、NIKONが主力であった時期も、短くない。でも、気づいたら、NIKON製のボディーもレンズも、私の周囲から消えていた。
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 はっきり言おう。NIKONの現行製品で、欲しいもの、心を動かされるものは、ない。
 立派な企業で、立派な製品をたくさん作っていることは理解しているが、今、NIKON製品を使っている自分を、想像できない。自分のような、カメラとの接し方をしている人間にとって、NIKONは違う世界に行ってしまったような気がしている。
 私には、40年以上付き合っている写真好きな友人が3人いて、みな過去に「F」をはじめとする、NIKONの高級機・中級機を使っていた。しかし、現在は、私を含め、4人ともNIKONは使っていない。M氏はOLYMPUSのMICRO4/3にPanasonicの高級レンズをつけている。M氏は建築家であり、自分の作品を、Panaの超広角ズームで撮って、畳1枚くらいに伸ばして飾っているが、その写真のピントの良さは、のけぞるほど素晴らしい。
 S氏はPENTAXのKシリーズを、代が替わるごとに買い換えてメインとし、MICRO4/3をサブにしている。W氏も似た構成だ。彼は、PanaのG1に20mm単焦点をつけたのを持ち歩き、しっとりとした日常スナップを撮っている。私は、SONYのNEXとMICRO4/3の2マウント。4人とも、重くて大げさなシステムがいやなのである。
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 私が使っている、レンズ交換式デジタルカメラである。上の写真にプラス、それを撮影しているカメラ(NEX-5N)もある。Panasonicが2台、SONYが2台、OLYMPUSが1台である。電機メーカー製が中心で、NIKONもCANONもない。
 今は所有していないが、過去数年、購入したのも、この3社のものばかりだった。あと、時々、購入寸前まで行くのは、PENTAXかRICOHかFujiの製品である。先ほどの友人3人も似たようなものだ。われわれ4人は、過去40年間に、数百万円をカメラ趣味に注ぎ込んできた。大半は、大手2社に対する投資だ。
 あ~ぁ、である。その2社は、我々から遠ざかっていく。いや、大手2社は、世界のメインターゲットをにらんで商売しているのであって、我々が年齢とともに、メインマーケットから、外れているだけかもしれない。だから、この2社は、世界市場で君臨しているのだろう。
 我々は、CANON帝国あるいはNIKON帝国の棄民である。だから、周縁のメーカーの製品でガマンするしかない。まぁ、それでいいか。私個人は、当面、以下のメーカーに、お金をつかっていくことにする。貧者の一灯と思って、お納めください。
SONY
Panasonic
OLYMPUS
Fuji
RICOH
PENTAX
おっと、次の2社も忘れてはいけない。
SIGMA
COSINA
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 個人的に一番出して欲しいのは、フルサイズ・ミラーレスだ。ボディ重量300~400gで、D800E のような描写をするカメラを、早く作ってもらいたい。だが、NIKONに求めても、可能性は限りなくゼロに近いだろう。
(最後のカットは、G1 + KONICA HEXANON AR57mmF1.2で撮影)
by withbillevans | 2013-01-13 16:00

思い出のレンズ=6= Canon FD35mmF2.0 SSC(その1) 大変優れていた

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 手放して、後悔しているレンズの1つだ。Canon FD35mmF2.0 SSC。描写の線が細いのに、実在感があり、発色もいい、優れたレンズだと思う。
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 中古で何本か入手したが、ほとんどが黄変していた。推測だが、放射能レンズの1本だろう。ちょうど1年前、新品同様な品を、銀座のカツミ堂で見つけた。安くはないが、高くもなかった。
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 ようやく見つけたきれいな個体だったが、数ヵ月後に、手放した。同じ35mmのNOKTON35mmF1.2の購入資金にしたのだ。後悔している。
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 CANONは1979年にFDレンズをNewFDに変えた。FDの絵のほうが、レンズ外観デザインと同じように、重々しく感じる。
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 NewFDのほうが、いつもきちんと写るけれど、レンズの個性が強いFDのほうが、使っていて面白さを感じることが多い。撮ってみないと分からない、意外性のようなものがある。(フィルム時代は、いつもそうだった)
 私の好みでは、NewFDは色がやや淡白、薄い、と感じる。それは、上品さに通じるのだが、物足りなさを感じることも少なくない。
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 2011年の秋、2000円の図書券をいただいた。いつもの本とは違うものを読みたくなり、ガルシア・マルケスの『コレラの時代の愛』を買った。よかったので、それから、同じ全集の『百年の孤独』などを買って、冬休み前後に続けて読んだ。
by withbillevans | 2013-01-12 18:00

おみくじの代わりにカメラを

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 本日、午前中、佐川急便の荷物が届いた。元旦の夜、オークションで落札した品物だ。4日にゆうちょ銀行で振り込み、5日午前にもう着いた。出品者は京都の業者。何回も購入したことがある。いつも程度のいい商品で、安心していた。前回は、やや「?」を感じた。今回はどうかな、と思っていた。
 オークションの商品は、届いてみないと、分からない。今回は、お正月なので、おみくじを引いてみた、というところだ。
 結果は〝小吉〟くらいかな。
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 Nikomat FTNである。1970年代初期のNIKONの中級一眼レフである。
 趣味の世界で、なぜ、それを買ったのかを聞かれても、なかなか答えにくいものだが、この場合は、なんかそのあたりが欠落していたから、というのが答えである。
 1973年に就職し、仕事でカメラが必要だった。会社が斡旋したのが3種類あった。PENTAX SP、Canon FTb、そしてNikomat FTNであった。数十人いた同期生が、何を買うか興味を持って見ていたが、だいたい3分の1ずつだった。
 私は、PENTAX SPが手元にあったが、長兄にCanon 7というレンジファインダー機を探してもらって、2台体制で臨んだ。私は、一眼レフの形と、ガッシャーンというシャッター音が嫌いだったのである。
 なぜ、会社が一眼レフを薦めたかというと、当時は、仕事で使うのは一眼レフが当たり前だったからである。例えば、遭難した漁船員の家に行って、アルバムに貼ってある写真を見せてもらい、接写するためであった。
 私は、そのような体験はしなかったが、レンジファインダー機でも、接写ならできると、自信があった。しかし、仕事では望遠レンズも要求されたので、仕方なく、一眼レフも使ったのである。
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 私は、会社の先輩、同僚を思い出すと、彼がFTNなのか、FTbなのか、SPなのかも、思い出してしまうのである。
 私は、Canon 7は、なるべく会社では露見しないようにしていたが、3歳年長で、目立つ先輩がいて、彼は、あのNIKON SPを、わざと人に見せるようにして、使っていた。その先輩とは、40年経ったいまでも、お付き合いがある。
 会社が斡旋した3種類のカメラだが、どれも丈夫で、よく写った。NIKONが耐久性に優れているという伝説があったが、CanonもPENTAXも、故障することはなかった。日本のカメラ産業が世界のトップに立ったころの話である。
 ただ、この3台では、PENTAXが軽かった。当時は若かったし、ベトナムの戦場ではNIKON Fみたいな、ハードなカメラが花形だったので、PENTAXの軽さは、あまり評価しなかった。ああ、若さゆえの誤解であった。
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 CanonFTbは、先般、赤坂の中古カメラ店ですごくきれいなのを入手していた。
 本日、NIKON FTNと並べてみた。じーっと見ていると、Canonのほうが作りがいい。
 そのあたりのことは、別の機会に譲るとして、2台並べると、新たな欠落感を感じる。まず、FTNのレンズがない。もう1台、PENTAX SPが欠けている。さらに、minolta SRT101、そして、OLYMPUS OM1がないではないか。
 KONICA AUTOREFLEX T3 は持っている。

(機材撮影はLEICA SUMMICRON R 50mmF2.0)
by withbillevans | 2013-01-05 13:00

残菊、庭にありて大晦日なり OM ZUIKO AUTO-MACRO 50mmF3.5

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 大晦日まで、菊が咲き残っている。植えた菊ではない。隣家から、種が飛んできて増えたものだ。隣家では我が家と同じ菊が、もっと以前から咲いていた。隣家は園芸趣味はないので、もとは、遠くから飛んできたものだろう。
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 自分で選ぶとすれば、多分、違う色を選ぶだろうというような、どうということのない花だ。だが、居ついて数年も経つと、なじんでしまって、抜き取る気にはならない。
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 そのそばに、こちらは園芸店で買ってきて植えて、庭いっぱいに増えたノコンギクも数輪咲いている。
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 こんな冬の日まで咲いているけなげさを見ると、一声かけたくなるくらいだ。
 ハチが飛んできて、花の蜜を吸っていた。寒さで、葉は半分くらいは紅葉している。それでも、つぼみがたくさん付いていて、まだまだ成長するように見える。
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 溝口健二の『残菊物語』を見たくなった。
by withbillevans | 2012-12-31 14:00

華蓮さんで~す Carl Zeiss Planar50mmF1.4 

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 ときどき、ランチに立ち寄るベトナム料理店に、すごく感じのいい方がいた。レジを担当しながら、アオザイ姿の女性従業員を指示して働いている。ベトナムの貴族の末裔ではないかと思えるほど、優雅さを感じさせる方だった。
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 話をうかがうと、ご夫婦で、店を経営しており、ご主人はボートピープルになって、母国を脱出したのだそうだ。
 「サイゴン(現ホーチミン)で生まれ育った私は、12歳の時、粗末な船に、いっぱいの人たちと乗り込み、故郷を脱出しました。太平洋を漂流しているところを、日本の船に救助され、日本に上陸しました。多くの人はフランスやアメリカに行きましたが、私は日本に残りました。日本の里親に育てられ、大学まで出してもらいました。日本は私の命の恩人です」と、ご主人は話してくださった。
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 ご主人は、日本の商社に就職し、立派なビジネスマンになった。そして、母国のハノイに赴任し、華連さんと知り合った。ご主人は日本に帰国し、華連さんも来日して、結婚。そして2011年秋に、日比谷公園前に建て替えが完成した飯野ビルの地下に、ベトナム料理店を開いたという。
 「私は、日本の船に助けられました。このビルも、日本の船会社のビルです。運命を感じました。料理を通じて、ベトナムのことを知ってもらいたいです。日本とベトナムの架け橋になりたいです」と、ご夫婦は張り切っている。
 ここの料理、本物のベトナム料理だが、日本人の口にも合って、大変おいしい。週3回食べたことがある。
 めったに持ち出さないCarl Zeiss Planar50mmF1.4で撮影した。
by withbillevans | 2012-12-28 06:00